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高齢者・子どもたちの笑顔あふれる街 四條畷市立教育文化センターは

四條畷市立教育文化センター
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〒575-0021 大阪府四條畷市南野5丁目2-16

 

過去のイベント紹介

平成25年 平成26年 平成27年 平成28年 平成29年 平成30年 令和元年 令和2年

令和2年度 開催のイベント


四條畷 楠正行の会 第67回例会

日時 令和3年1月12日(火) 午後1時30分より3時
場所 教育文化センター 2階 会議室1

●四條畷、今年初めての雪景色
 
令和3年最初の例会は、四條畷でも雪景色となり、非常に寒い中での開催となった。
 しかし、一人二人と集まり、暖房を入れながら、東西の窓を開け、ソーシャルディスタンスをとり、全員マスク着用での例会となった。

●まだまだ、新しい発見が・・・。
 今月は「北朝の天皇」を取り上げ、2月「足利直義」、3月「児島高徳」と、今までと少し違った角度から正行が生きた南北朝時代を繙く予定だが、事前の資料準備の段階で、今まで気づくことのなかった当時の舞台裏を極めて強く感じている。
 北朝の天皇たちが、いかに時代に翻弄されたか、また希望の頂点と失意のどん底を体験しながら、北朝内部でし烈な皇統の争いがあったことは新しい発見であった。
 足利幕府も足利直義の目から見ると、今までとは全く違った人間模様が見えてくる。また、児島高徳の生きざまを詳細にみれば、吉野朝でも脚光を浴びなかった多くの武将がいたことが分かるし、そこに脈々と流れる「義を貫く」精神を感じる。
 そして、それらの人物像が、錯綜しながら、スポットを浴びる様々な出来事の裏にしられざる動きがあったこともわかる。
 今年も、新たな発見も含めて、楽しい学びがスタートした。


                     1月例会の様子

楠正行通信第122号(112日発行)

 ・清水寺成就院で勤王の公武を結んだ月照上人
 ・安政の大獄を逃れ、錦江湾で西郷と入水
 ・弟、信海上人が遺した正行への思い~正行辞世の歌からの本歌取り

 
■北朝の天皇と正行
 配布資料 ①北朝天皇と楠正行
      ②北朝の天皇の動向
      ③南北朝時代前後の皇統の流れ
 北朝の天皇 光源・光明・崇光・後光源・後円融・後小松
 (総括)
 *足利尊氏に翻弄され、義満に実権を握られた天皇たち
 *幕府と吉野朝=楠氏の対立抗争の中にあって、行在所定まらず、廃位・幽閉の憂き目に
 *大覚寺統と持明院統の対立と同時に、光源の嫡流(崇光)と庶流(後光源)の対立抗争も
 *義満時代、北朝庶流:後光源系に皇統一本化
 *しかし、称光に皇子生まれず、嫡流崇高後衛伏見の宮・後深草嫡流の後花園に
 *結果、南北朝時代の大覚寺統・吉野朝、北朝主流・後光源系はともに断絶した
 *なお、正行活躍時代の北朝天皇は光明のみ
   延元元年1336から正平31348までの12年間は
   正行、河内東条平和の時代が長く続いたが
   北朝にあっても比較的穏やかで、光明治世に大きな変化はなかった

資料① 北朝天皇と楠正行

1・北朝天皇の流れ
北① 光源天皇 即位18歳 在位2年間
    尊氏に翻弄される!

   = 建武の新政 = ~後醍醐天皇の親政 ~
    後伏見・花園上皇捕らえられる
    皇統を主張できない3人の天皇
北② 光明天皇 即位14歳 在位12年間
    ※三種の神器なし
北③ 崇光天皇 即位14歳 在位3年間
    正平の一統崩れ、足利氏吉野朝に降伏後
    ☛ 3上皇らは吉野朝に幽閉 そして、金剛寺で1年を過ごす
北④ 後光源天皇 即位14歳 在位19年間
    ※群臣議立(継体天皇の例)
    三種の神器も、上皇の詔もないまま、幕府によって擁立された
    義満の影響!

    ※度々の逃避行  実権は義満に
北⑤ 後円融天皇 即位12歳 在位11年間
    持明院統の嫡流・崇光上皇と、庶流・後光源上皇の確執と皇位継承問題
 100
 後小松天皇 即位6歳 在位30年間
    義満、准后に

    室町殿(義満邸)で執務~義満の補佐
   16歳のとき、南北朝合一
    明から日本国王の称号
    ☛ 三種の神器:皇統を継承

2.北朝の天皇
*足利尊氏に翻弄され、足利義満に実権を握られた天皇たち
*行在所も定まらず、三種の神器もなく、正式な皇統とは言えない状況
*幽閉の憂き目にも~3上皇、一時、金剛寺で吉野朝・後村上天皇と同居
 正行との関係
 ☛ 正行の活躍時代、北朝の天皇は光明天皇だけ
*北朝の天皇に、皇統の証はなく、足利氏の傀儡天皇
 南北朝時代というが、現実は、「足利幕府」と、「吉野朝」=楠氏、対立抗争の時代
 正行の知りうる天皇は、光源と光明の二人 しかし、
 接点もなく、無縁の存在であったと思われる
 正行が仕えた天皇は、後醍醐と後村上で
 吉野朝を支える武将は、正行時代、ほぼ唯一一人の状態であった
 ☛ 「物」「心」両面で支え続けた正行

3.石原比伊呂著「北朝の天皇」中公新より
*承久の乱と皇統の分裂
 古代 壬申の乱(672)後、天智系と天武系の分裂
 中世 保元の乱(1156)後、後白河天皇と崇徳上皇の対立
     承久の乱(1221)後、混乱を収束していく中でキーマン後嵯峨天皇の登場
     ☛ 鎌倉幕府と良好関係築く:公武協調の朝廷政治
*後嵯峨の継承者
 後深草と亀山の対立、伏見天皇即位によって、後深草は治天の君に
 この後、亀山を祖とする大覚寺統と、後深草を祖とする持明院統の対立が構造化される
 幕府:後深草流~持明院統が存続するよう措置
     ~ 固定化に働いた武家の意向の影響 
 ・持明院統 琵琶  手続き重視=鎌倉幕府の訴訟制度の特性~幕府に寄り添う傾向
 ・大覚寺統 笛   聖断重視:天皇や上皇の決断が最も重要
*後二条天皇の即位
 この時、5人の上皇と法皇~空前絶後の事態
  大覚寺統:亀山法皇、後宇多法皇          =八条院領
  持明院統:後深草法皇、伏見上皇、後伏見上皇 =長講堂領
*後醍醐、倒幕への道
  後醍醐は所詮、中継ぎ「一代の主」という立場
  1 後宇多(実父)の死 皇位を自らの子孫に伝える障壁・重しが取れる
  2 東宮、邦良の死~2枚目の障壁
  3 幕府、持明院統の量仁(のちの光源天皇)を立太子させた
   ☛ 後醍醐に焦り・焦燥感
    ≪鎌倉幕府こそが最も高くて厚い障壁であることが明確に≫
     ~ 後醍醐、新興勢力の登用に走り、成功 ~
*後醍醐の過ち
*足利氏の立場
  頼朝は源義家の嫡子、義親の子孫
  が、足利家は、義家の庶子、義国の子孫という血統上の弱点
  ☛ 元弘没収地返付令と、持明院統の担ぎ出し
    「足利軍は、『北朝の軍隊』である」という認識の社会的定着
*正平の一統破綻と北朝天皇の幽閉
  光源上皇、光明上皇、崇光上皇と直仁親王の拉致
  ☛ 推戴すべき北朝の人物がいなくなった
    強引な解決策:拉致を逃れた崇光の弟、後光源天皇の擁立
   ☛ 崇光の系統と後光源の系統が、二分裂
       3上皇の復帰後、嫡流としての崇光に天皇家財産の処分権
      =潤沢な経済基盤:長講堂領を背景に、
       崇光上皇は北朝本来の正統としての存在感を示し続ける
       が、足利義満は、崇光の所領を取り上げ、後小松の所管に移した
       この後、崇光院流は京都南郊の伏見で隠棲同然の日々を過ごし、
       「伏見宮家」と称されるようになる ・・・ 後花園で復権!
*光源天皇の地獄変
 ① 鎌倉幕府の滅亡~後醍醐によって、皇位にあったという事実を抹消される
 ② 吉野という見知らぬ土地・山奥での軟禁生活
 足利直義との「君臣合体」の関係
 ~ 天皇と将軍の関係の萌芽
    崇光への譲位と直仁(花園天皇皇子)の立太子は、直義・光源・花園の合議で確認
    /園大暦
*後光源天皇践祚
 「群臣議立」という異例な形での即位
 ☛ 前天皇らが吉野・河内に幽閉の身となり、治天の君の譲位院宣ができない状態
    三種の神器がない
    奇策=継体天皇の洗礼に倣う群臣議立
        ~ 臣下たちが一致団結して新たな天皇を即位させること ~
 足利二代将軍義詮の全面的バックアップ
*後円融天皇
 細川頼之率いる幕府のバックアップで、目も止まらぬ早業で即位
 ~崇光院支持派を粛正=後光源院流擁立が幕是化~これ以降の既定路線に
*南北朝合一
 義満時代の最大のトピック
 南北合一の3条件
 ① 三種の神器を後亀山から後小松に引き継ぐ
 ② 今後は、後亀山の子孫と後光源の子孫で皇位を継承する
 ③ 天皇家の資産の内、諸国国衙領は後亀山系に、長講堂領は後光源系が引き継ぐ
 義満には全く3条件遵守の思いなし
 結果、先祖代々の拠点、大覚寺に入った後、後亀山は姿をくらます。
 ☛ 山奥に逼塞した後亀山は、伝承上の人物に~反幕府勢力の旗頭に:後南朝へと続く
    南朝から皇位回復の可能性を奪い去った義満
   同時に、長講堂領以下の所領を、崇光院系から取り上げ後小松に移す
   後光源系を正統として支持
*後円融天皇
 義満と不仲で、孤立化招く
 義満による後光源仏事の妨害
 ~ 後円融の院政排除
*後小松天皇
 6歳で即位、16歳の時、南北合一
 義満の全面バックアップ、そして義満の法皇化~公卿化
 父権者たる義満に頼り切った後小松

4.吉野朝主流、北朝主流は、共に絶え、今に続く皇統は北朝庶流の後花園の末裔

大覚寺統(後嵯峨天皇の第3皇子・亀山天皇)と持明院統(後嵯峨天皇の第2皇子・後深草天皇)の確執

 両統の対立は、亀山天皇に譲位後、後嵯峨上皇が崩御すると、後深草上皇は皇位継承をめぐって、亀山天皇と対立したことに始まる。
 この対立は、南北朝の対立という悲劇を生む。
 兄、後二条天皇の遺児・邦良親王が成人するまでの一代限りとの条件のもと即位した後醍醐天皇は、朱子学に傾倒し、天皇親政を目指し倒幕の道へと進み建武の新政を始めるが、新政の挫折によって国を二分することになる。
 吉野に開いた朝廷は、後村上天皇(後醍醐天皇の第7皇子)、長慶天皇(後村上天皇の第1皇子)、後亀山天皇(後村上天皇の第2皇子)と引き継がれるが、足利義満によって南北朝が合一され後亀山天皇から後小松天皇に皇統が移ると、吉野朝・後醍醐天皇の血筋は消えた。
足利幕府傀儡の北朝にもまた皇位継承をめぐる対立が
 元弘の乱で、後醍醐天皇が三首の神器をもって出京したため、幕府によって立てられたのが北朝第1代光源天皇。
 光源天皇は、沖を脱出した後醍醐天皇によって廃位させられる運命をたどるも、建武の新政の失敗後、光源天皇の弟光明天皇が即位する。しかし、正平の一統で後村上天皇が京を奪還した際、光明・光源・崇光は吉野に幽閉の憂き目にあう。
 この時、幕府は崇光の弟、後光源天皇を擁立した。そして、この後後円融・後小松・称光と弟の後光源天皇系が続くが、兄、崇光との皇位継承をめぐる確執・対立が残った。
 南北朝は、大覚寺統と持明院統の対立が言われるが、持明院統=北朝の中でも、足利幕府傀儡として翻弄されながら、光源の嫡流(崇光)と庶流(後光源)があったことに留意すべきである。
 そして、歴史はこの対立について、嫡流に軍配を挙げている。
 生来病弱であった称光天皇に皇子は生まれず、崇光天皇の後衛伏見の宮、即ち、後深草(持明院統)の嫡流・後花園天皇が即位する。
 今に続く皇統は、後花園天皇の後衛になる。
 結果、南北朝時代の北朝主流・吉野朝とも、断絶したともいえる。








■第8回楠正行シンポジウムの開催について
  再び延期し、710日に開催・決定!
 ・1/7 公民館神本館長・森職員と打ち合わせ
  昨年3月開催を本年313日に延期した開催日程の取扱いについて
  (協議の結果)
  昨今のコロナ感染状況を受け、現在、公民館は新規受付中止中。
  首都圏での緊急事態宣言、大阪府での感染状況の増加傾向を見据え、受付
  緩和は難しい局面。
  開催の有無に関する再周知のためには、2月広報掲載(118日原稿締切)
  タイムリミット。
  結果、313日開催の再延期を決定。
  夏場に入り、一定の収束を見込む。
  
  新たな開催日程を決定
   ●日時 令和3710()、午後2時~午後4
   ●場所 市民総合センター1階展示ホール
   ●内容 1部 楠正行論文表彰式
       2部 ライブペインティング「楠正行」
   ●周知 四條畷広報誌5月号掲載

  第12回日経小説大賞「利正の人 尊氏と正成」 天津佳之
  2月出版予定/日本経済新聞出版より
  ~ 利生とは・・・衆生に神仏の利益をもたらすこと ~

  ☟ 日経新聞より




次回例会
     日時  29日(火)、1330分~1500分
     場所  四條畷市立教育文化センター2階・会議室1
     内容  足利直義と楠正行
          その他
傍聴、入会大歓迎!
  郷土、四條畷の歴史、そして四條畷神社に祀られる楠正行に関心をお持ちの方、一緒に学 びませんか。
 例会は、毎月・第2火曜日の午後130分から3時までです。
  お気軽に、教育文化センターの2階を覗いてください。お待ちしております。


正行通信 第122号はコチラからも(PDF)




四條畷 楠正行の会 第66回例会

日時 令和2年12月8日(火) 午後1時30分より3時
場所 教育文化センター 2階 会議室1

●特別展・市民ゲーム大会、ご参加の皆様ありがとうございました。
 
特別展・市民ゲーム大会は、おかげをもちましてコロナ禍の間隙を縫って、無事実施でき、盛会裏に終了しました。
アンケート等で頂きましたご提言やご提案を参考に、今後の活動に反映させていただきます。

●若い女性の傍聴者を迎え、華やかな教室に

 特別展にご来場いただいた方が、傍聴に来てくださいました。
 久方ぶりの会員の参加もあり、市民ゲーム大会と特別展が無事終わったからか、会員一人一人に心地よい疲れと満足感が感じ取れる例会となりました。
 これら取り組みの反省と総括の上、月照上人について学びました。
 また、八幡市の四条隆資卿研究会からの情報提供と、令和3年度楠氏を取り上げ学ぶ際の協力依頼の報告をしましたが、私たちの取り組みの一歩一歩づつの広がりに手ごたえを感じ取ることができました。
 サプライズは、月照上人の学びの中で、真木さんと辻さんのお二人による西郷南洲作「月照墓前作」の合吟披露をしていただきましたが、教室から拍手万来となりました。


                   12月例会の様子

楠正行通信第120号(128日発行)

・正行の会と電通大のコラボ第4弾 歴史と文化のゲーム制作
・27名の子どもが参加してゲームを楽しむ
・「四條畷のことが学べてよかった」とうれしい感想
楠正行通信第121号(128日発行)
・四條畷市制施行50周年記念協力事業・特別展「しじょうなわてと楠正行」開催
4回の展示解説に100人を超える参加
・アンケート:印象に残った展示NO1は“四條畷の戦い”

□特別展「しじょうなわてと楠正行」について
 日時 11月16日(月)~29日(日)2週間
 場所 四條畷市市民総合センター1
    ロビー・コミュニティスペース、展示ホール
 受付簿記入  土・日 94
        平日   5
 大河ドラマ署名    149
 アンケート      63
 ●集計結果(一部抜粋・グラフで提供)は以下のとおり。
  「何で知りましたか」 1位産経新聞30.2%、2位広報誌19.0%、
             3位口コミ11.1%
  「正行の会を知ってますか」 1位知ってる44.4%、2位知らない31.7
                3位知らなかったが参加してもよい17.5
  「性別」 男性49.2%、女性34.9%、無記入15.9
  「年代」 20歳未満3.2%、50歳未満28.6%、51歳以上66.7
  「住所」 市内33.3%、市外大阪府内50.8%、他府県6.3










(自由記入欄)
 ・おめでとうございます。/活動を祈る。
 ・生駒孝臣さんを招いたイベント
 ・講演会、展示会を続けてほしい。/またあれば参加します。
 ・何か行事があれば案内ください。
 ・いつもありがとうございます。多くの人に見てほしいですね。
 ・史跡巡り
 ・解説は非常に分かりやすかった。歌のうまさに感動した。
 ・楠公父子は再評価されなければならないと思います。
 ・若い世代に公を引き継いでほしい
 ・友人が正行の会に入っている
 ・地域で詩吟の指導をしている。楠公の生き方について再度、発表したい
 ・新聞報道があったから来た。扁額は千早赤阪の展示を見た。
 ・正行巡りツアー
 ・久子の方の生きざまを知りたい。扇谷の解説と歌大変感動しました

 □市民ゲーム大会について
  日時 1128日(土)午後130分~午後4
  場所 四條畷市民総合センター・展示ホール
  参加 子ども     27
     保護者     15
     四條畷市    東市長以下5
     教育委員会   植田教育長以下6
     正行の会    6
     電通大     木子・由良&広報
     学生      45
     計       107

□楠正行と月照上人

【清水寺】



 開創は778年。
 観音霊場として、奈良で修業を積んだ賢心が音羽山の滝で行叡居士と出会い、草庵と観音霊地を護ったことに始まる。征夷大将軍坂上田村麻呂公が十一面四十二臂(ひ)千手観音を本尊に、地蔵菩薩・毘沙門天を左右両脇士として安置した。
 京都東、音羽山の中腹に広がる13万㎡の境内には、国宝と重要文化財を含む30以上の伽藍や碑が建ち並び、大きな慈悲を象徴する観音様の霊場として多くの人に親しまれてきた。
 「清水の舞台から飛び降りる」ということわざは、切り立った断崖に張り出している清水寺本堂の舞台から飛び降りるほどの覚悟で物事を実行する決意を表した言葉で、今も昔も知らない人はいない名所といえる。



【成就院】
 仁王門を通り山肌の「千体石仏群」(1868年に発布された神仏分離令にによる廃仏毀釈運動によって行き場を失った地蔵菩薩を中心とする石仏が運び込まれたもの)を見ながら進むと「月の庭」で人気の高い成就院にたどり着く。
 成就院は、応仁の乱で全焼した清水寺を立て直すために願阿上人の住坊として建てられた本願院が前身。堂々とした佇まいと幽閑な風趣を併せ持つ。
 廊下が鴬張りだったせいか、ここは、安心して尊王攘夷派の志士たちと月照や信海らが密儀を重ねた場所でもある。そのメンバーは、左大臣近衛忠煕、青蓮院宮門跡尊融法親王、西郷隆盛、鷹司たかつかさ家家臣、水戸藩士らであった。

          

●人物叢書「月照」友松圓諦著より
【月照とは…】 写真上:月照上人 下:善通寺市に建つ二人の立像
文化101813 医師、玉井宗江の子として出生
文政21819 月照の師、叔父にあたる蔵海、清水寺・成就院の住職となる。この時43歳。
天保61835 蔵海死、月照、住職に。23歳。
天保10年、東寺参詣始める 19年間に17回
天保14年、北野天満宮月参始まる 6年間に11回
安政21855ごろから、陽明殿・近衛忠煕月次歌会に積極的に参加
月照の歌に読み取れる“ひたむきな献身の性格””月参不断の性格“
 「国のため法のためには露の生命 今この時ぞ捨てどころなる」
 「弓矢とるみにはあらねど一筋に 立てし心の末はかはらじ」

嘉永31850 5月、異国船近海に出没。祈祷の命を受ける。
嘉永41851 34月、隠居願提出~却下される
          ~ 月照の戒律主義、山内の貴族主義と調和せず
          この頃から月照の住所、不安となる
嘉永57月、寺を出奔
嘉永61853 高野山に越年
嘉永71854 2月、境外隠居の処分を受け、成就院住職を弟、信海に譲り、自由の身となる
 この年、近衛家から歌道入門が許可される
 近衛家等の歌会のみならず、自分の閑居等で歌会を持つ
 ☛ 幕末の志士たちと接触の機会となる~近衛家、王事参画の原因にも
安政31856 この年5回の転居
 じっと一所に留まることのできない苛立ち
 自分を更新しようとする内的努力が重要であったか
 世俗を離れた閑居こそ、志士と謀議するに適したのでは
 ~ 月照、境外隠居にもかかわらず、宮から病気理由の猶予願い申し出
   ☛ 月照の勤皇運動の表面化はこの頃か
安政51858 勤皇運動の総本陣は青蓮院の宮、後の中川の宮
 中川宮は、叔父の一条院宮尊常法親王の弟子
 一条院は成就院のご支配
 中川宮と月照に長い厚誼の原点
 ~安政の大獄が激しくなる中、追手がかかり、九州・薩摩へ逃れるが・・・

【月照をめぐる人物たち】

青蓮院宮 中川宮

 興福寺の塔頭・一条院に帰属し門主
   ~ 一条院は成就院の支配下にあるという関係からの厚誼
  高野山の山王院でご祈祷修行~五大護摩:勤皇運動との関わり
  ☛ 月照が高野山と青蓮院宮を仲立ちしたのではないか
  日米修好通商条約の勅許に反対し、家定将軍継嗣問題では一橋慶喜を支持し、
  安政の大獄で蟄居を命じられる
  桜田門外の変で井伊直弼失脚後復権し、朝政に参画、中川宮を名乗る。
  公武合体派

近衛忠煕 ただひろ
  従一位 島津藩篤姫を養女とする
   安政の大獄で失脚。文久2年1862に復権
   月照は近衛忠煕の黒頭巾(≒黒子)
    背景 近衛は月照の和歌の師匠
        近衛の島津との縁戚関係
   祈檀という寺院中心から、歌道入門を通じて個人関係に浄化
   月照は、近衛家と勤王の志士との仲立ち役
   ☛ 幕府からの嫌疑が厳しくなる要素

小林良典 よしすけ
  鷹司家(5摂家)の諸大夫
    諸大夫=公家に次ぐ身分を持ち、昇殿を許された殿上人を除いた人

      ≒地下人
   正四位下民部権大輔 筑前の守
    鷹司家の奥方は水戸の出
    長い交友関係は資料で確認できるが、勤皇との関係は不詳
    一橋派の譲位論者

西郷隆盛

  成就院は各藩との交渉が多かった
   ☛ 公武の両面に広い祈壇を持つ成就院の特殊性の故か
     = 月照の役割を有効に!
      Ex. 近衛家と薩摩/水戸藩と近衛家/水戸藩と薩摩
   特に、月照の薩摩藩との深い因縁!
   安政5年の資料(日記関係)がない
    ~ 月照と隆盛の具体的な動きは分からない
   二人の出会いの場所は、東福寺の即宗院と思われる
   ☛ 即宗院:薩摩氏久(南北朝時代の守護大名・島津家6代当主)の菩提寺
            月照が居にしたところ
安政5年1858
9月11日 西郷隆盛、近衛家から月照上人護衛の役を引き受け、有村俊斎も
        江戸から有馬新七も合流
9月23日 大坂を出発
10月1日 下関到着
11月7日 薩摩領内に入る
1110日 夜、鹿児島城下に入る
       ☛ 西郷は月照を助けようと薩摩藩への助力嘆願の努力をするも、島津斉彬
         死後の薩摩藩の考え方・空気は一変していた
         そして、月照の引き渡しを求める追手が薩摩に迫る中
1115日 月照に城下立ち退き令が出る
 ☛ この夜、いずれ処刑される運命と悟った西郷隆盛は、月照の隠れ家を訪れ、
  用意した船で錦江湾に漕ぎ出し、相約して抱き合いながら入水した。
  これは、追い詰められた西郷が月照に示す唯一の誠意であった
  救助の甲斐あって西郷は息を吹き返したが、月照は帰らぬ身となった。
月照辞世の歌
  大君のためにはなにか惜しからむ 薩摩の迫門に身は沈むとも


原田才輔経允つねのぶ

 近衛家にかかわる勤皇者 薩摩出身
 西郷隆盛と月照をつないだと思われる人物
 月照の歌集に最も多く登場する 月照に与えた影響の大きさか
 篤姫を近衛忠煕の養女として家定の室とすることについて、江戸出府し、幾島も同道している

 楠木一族の名字をめぐって/堀内和明論文
 ~西村朋子さん提供

 楠公ツーリズム推進協議会製作「眼からウロコの楠木一家」
 
 声優朗読劇「楠木正成」
 220日(土)1500分開演
 すばるホール/河内長野市
 全席指定・当日券4500円/予約チケット4000

次回例会

 日時 112日(火)、1330分~1500分
  場所 四條畷市立教育文化センター2階 会議室1
  内容 北朝の天皇と楠正行
      第8回楠正行シンポジウム・論文表彰式について
      その他
傍聴、入会大歓迎!

 郷土、四條畷の歴史、そして四條畷神社に祀られる楠正行に関心をお持ちの方、一緒に
 学びませんか。
  例会は、毎月・第2火曜日の午後130分から3時までです。

 お気軽に、教育文化センターの2階会議室1を覗いてください。お待ちしております。

正行通信 第120号はコチラからも(PDF)



正行通信 第121号はコチラからも(PDF)


 



教文 親子体操教室で「絵本の読み聞かせ」と石焼き芋つくり!

日時 令和2年11月19日(木) 午前10時より11時30分
場所 教育文化センター ホール・会議室1・芝生広場
イベント内容 絵本は読書の秋、焼き芋は食欲の秋です。。
共に楽しく出来ました◎




四條畷 楠正行の会 第65回例会

日時 令和2年11月10日(火) 午後1時30分より3時
場所 教育文化センター 2階 会議室1

●令和3年、人物シリーズ続編に決定
 
令和2年は、コロナ禍で影響を受け、休会も続きましたが、人物シリーズをいったん止め、正行の出自・軍団・四條畷の合戦などを再検証しました。
 今回の特別展で一区切りも付きますので、令和3年は、人物シリーズに戻り、今まで取り上げてこなかった正行関連の歴史上の人物にスポットを当て、検証を続けることになりました。
 取り上げる人物(予定)は、「例会」欄に列記しています。
 ご関心のある方は、ぜひ、覗いてください。


●特別展「しじょうなわてと楠正行」111629日、ご来場お待ちしています。

 小楠公一代記・小楠公真筆集・ゆかりの史跡・朱舜水作正行像賛・拓本・掛け軸等、A1
 パネル43枚、一挙公開!


特別展示、次々と増える!  
 黒岩淡哉作「小楠公像」に加え、清水寺森清範貫主揮毫の信海上人辞世の歌「色紙」も

 四條畷市制施行50周年記念協力事業「特別展・しじょうなわてと楠正行」は、1116日(月)から1129日(日)までの2週間市民総合センターで開催します。
 サプライズ展示「小楠公像」も加わりました。
 更にうれしいニュースがあります。
 清水寺の信海上人の辞世の歌、この一首は楠正行の辞世の歌「かゑらじとかねて思えハ梓弓 なき数に入る名をぞとどむる」を本歌取りしたもので、「西の海あつまのそらとかはれども こころはおなじ君が代のため」と歌ったもので、清水寺森清範貫主の揮毫による色紙を、初日の1116日に、妙見宗河楠教会の小西正純主管がお届けくださるとのことです。
 なお、1116日は、信海上人の兄で、西郷隆盛と錦江湾の龍ケ水沖で入水し、西郷は蘇生しましたが、その時最期を向えた月照上人の命日にあたる日です。
 是非、期間中に市民総合センターを訪れていただき、四條畷ゆかりの人物、楠正行に想いを馳せていただければと願っています。
 多くの皆様のご来場、お待ちしています。


                     11月例会の様子

楠正行通信第119号(1110日発行)

・昭和15年発刊の赤十字読本に、「正行の渡辺橋の美談は誰もが知る」と載る 
・明治20年の第4回赤十字国際会議で、日本政府委員「戦時傷兵に対する歴史実例
 」演説
・渡辺橋の美談紹介によって、日本の国際赤十字加盟がなったとの伝承に、確証
 の事実
特別展「しじょうなわてと楠正行」

 日時 1116日(月)~29日(日) 2週間
 場所 四條畷市市民総合センター1
    ロビー・コミュニティスペース、展示ホール
 日程
    1116日(月) 午前9時 展示開設 午前10時オープン

    1121日(土) 午前10時~
                グッズ販売・特別展示(瓦、掛け軸)
    1122日(日) 午前10時~
            グッズ販売・特別展示(瓦、掛け軸)
                   展示解説/扇谷 午前10時と午後2時の2
    1128日(土) 午前10時~
                グッズ販売・特別展示(瓦、掛け軸)
    1129日(日)  午前9時 展示開設 午前10時オープン
                グッズ販売・特別展示(瓦、掛け軸)
                   展示解説/扇谷 午前10時と午後2時の2回
                   
午後4時 閉会/展示撤収

当日販売する正行グッズ
 「くすのきまさつら」かるた 1,500
 ・正行像賛扇子         2,500
 ・論文集「小楠公」         500
 ・小説「楠正行」         1,700
 CD「楠正行」          1,000

令和3年活動計画について

 人物シリーズで、今までに取り上げていない人物を掘り下げる。
 (予定)
 1月 北朝天皇と正行
 2月 足利直義と正行
 3月 児島高徳と正行
 4月 新井白石と正行
 5月 勝海舟と正行
 6月 西郷隆盛と正行
 7月 福沢諭吉と正行
 8月 お休み
 9月 森有礼と正行
 10月 林羅山と正行
 11月 現地学習/清水寺
 12月 忘年懇親会

大阪電気通信大学令和2年度社会プロジェクト実習授業
 四條畷の歴史・文化をゲームに! 8つのゲーム完成!
 
1111日 デモ・プレイ
  電通大学キャンパス・10号館102教室で開催 午後450分~
 ・1128日(土) 市民ゲーム大会 午後130分~330
 「キリシタン鬼ごっこゲーム」「キング馬師ゲーム」「コメ収穫ゲーム」
 「舟運すごろくゲーム」「民話詰め合わせトランプ」「なわて巡りゲーム」

 ゲーム好き少年・少女、集まれ!
 ゲームに勝って、景品をゲットしよう!

次回例会
 日時  12月8日(火)、12時~
 場所  かごの屋(予定)
 内容  懇親忘年会兼特別展打ち上げ
 注意: 12月例会は教育文化センターで開催しませんので、ご注意ください。

傍聴、入会大歓迎!

 郷土、四條畷の歴史、そして四條畷神社に祀られる楠正行に関心をお持ちの方、一緒に学びませんか。
 例会は、毎月・第2火曜日の午後130分から3時までです。
 お気軽に、教育文化センターの2階ホールを覗いてください。お待ちしております。

正行通信 第119号はコチラからも(PDF)


教文で絵本の読み聞かせ

日時 令和2年11月6日(金) 午前10時30分より11時
場所 教育文化センター 和室 
イベント内容 読書の秋 こども☆スタンプラリーを開催しました。
スタンプを2つ集めて景品を貰おう。


教文
親子体操教室「もうすぐハロウィン!」

日時 令和2年10月29日(木) 午前10時より11時30分
場所 教育文化センター・会議室1 
イベント内容 今日は、みんなでハロウィンの準備をしました。
変身して、マントを羽織って、
大変上手に出来ました。◎




教文
親子体操教室「”みんなの運動会”」

日時 令和2年10月22日(木) 午前10時より11時30分
場所 教育文化センター 芝生広場 
イベント内容 今日はお待ちかねの運動会です。
みんなでいっしょうけんめい頑張りました。
プログラムは以下の通りです。
1・どんぐりのお歌
2・入場行進
3・いっとうしょうたいそう
4・でんしゃじどうしゃ
5・かけっこヨーイドン
6・たまいれ
7・バナナ君体操
8・サーキットあそび
9・台風の目
10・あひるのダンス
11・パラバルーンで遊びましょう(強風中止)
12・全員リレー
13・ピカピカブー
14・記念撮影






教文
親子体操教室で「秋の遠足」

日時 令和2年10月15日(木) 午前10時より11時30分
場所 教育文化センター 
イベント内容 秋晴れの今日はみんなで「さとやま」へ出かけました。
広い公園でドングリを集めて写真を撮ってお弁当を食べました。







四條畷 楠正行の会 第64回例会

   日 時  令和2年10月13日(火) 午後1時30分~午後3時
   場 所 四條畷市立教育文化センター 2階 会議室1 

●楠正行通信118号をご覧ください。うれしいニュースがあります.

 10月に入り、ビッグニュースが飛び込んできました。
 詳細は、楠正行通信118号に掲載していますが、枚方市在住の駒村裕史様から、
駒村家に伝わる黒岩淡哉作の小楠公像をご寄贈いただきました。
 今まで、四條畷には、四條畷高校とJR四条畷駅にそれぞれ黒岩淡哉作の小楠公像がありますが、これで3体目ということになりました。
 今月の例会は、この小楠公像をめぐって大変盛り上がりました。「どこに展示すればよいだろうか」「長年庭に飾られてきたことで、その風雪が偲ばれるが、磨いた方が良いのだろうか」「磨くにしても、素人にできるのか」「いや、かえって今の姿を見てもらう方が良いのでは」「置台はどうしようか」等々、嬉しい談議に花が咲きました。
 この小楠公像に関しては、11月の特別展の展示を終えた段階で、市とも相談の上、適切な場所に常設展示する方向で検討します。
 駒村様、貴重な駒村家のお宝をご寄贈いただき、ありがとうございました。
 今後は、楠正行顕彰に資するよう、大切に保存・管理・展示等をさせていただきます。

●特別展「しじょうなわてと楠正行」111629日、ご来場お待ちしています.

四條畷市制施行50周年記念協力事業「特別展・しじょうなわてと楠正行」は、1116日(月)から1129日(日)までの2週間、市民総合センターで開催します.
 サプライズ展示「小楠公像」も加わりました。
是非、期間中に市民総合センターを訪れていただき、四條畷ゆかりの人物、楠正行に想いを馳せていただければと願っています。
 多くの皆様のご来場、お待ちしています。



               
               10月例会の様子

楠正行通信第117号(1013日発行)

・正平3年(1348)1月5日、楠正行の四條畷合戦
・巳の刻午前10時から申の刻午後4時までの激闘の6時間
・窮地にあっても、上山の偽首を丁重に扱うことのできた心の持ち主

楠正行通信第118号(1013日発行)

・朗報! 黒岩淡哉作「小楠公像」、枚方市在住の駒村氏より寄贈受ける
・これで、四條畷高校、JR四条畷駅に次いで、四條畷に3体目
・総高さ88センチ、幅40センチ、奥行き51センチの銅像

昭和15年発行「赤十字読本」に、正行、渡辺橋の美談が
 
 正行の事績、渡辺橋の美談を国民周知のこととして記述

*昭和155月 印刷・発行 「赤十字読本」より
 前編「日本の赤十字」 第1章「日本人の博愛」
 (本文・前略)
 日本は尚武の国であり、国民は勇敢であります。何れの国民にも断じて負けません。
 けれども武勇の一面にはいつも優しい慈悲心を持って居ます。だから戦場で敵に背を見せることを恥とするとともに、捕虜を虐待したり、敵の負傷者を苦しめたりすることを武士の第一の恥辱としていました。
八幡太郎は敵の大将宗任を家来とし、楠正儀は自分を親の仇と狙う熊王丸を身近く召し使って恩義に感激させその害心を失くさせました。楠正行が渡辺の戦いで敵の溺れる者数百名を救ったことは皆さんもよく知っていましょう。
 朱雀天皇は天暦元年、将門、純友の天慶の乱に命を落とした官軍・賊軍の兵士たちを憐ませられ延暦寺で千僧供養を営まれ「官軍も賊軍も共にわが王民である。怨親平等に冥福を祈る」という意味の願い文をお読みになりました。
 楠正成は赤坂に味方塚と並んで、敵方の戦死者のために寄手塚を建ててその冥福を祈りました。織田信長は桶狭間で今川義元を討ちとったがその首を鄭重に桶に納め駿府へ送り届け、桶狭間における今川勢の戦死者を手厚く葬り義元塚と呼びました。
 徳川家康もまた長篠の戦で戦死した味方の者と敵武田方の者との塚を築いて弔いました。味方の方の歯小さいから小塚、敵方のほうのは大きいから大塚と呼びました。大塚はまた信玄塚とも呼ばれています。
 島原の乱で戦没した耶蘇教徒の冥福を祈るために幕府では長崎・原城・富岡の三か所に合葬して、石碑を建て、また供養のために東向寺を建立しました。かかる例は枚挙に遑がありません。
 (以下、略)
☛ 赤十字読本の該当項






 川でおぼれる敵兵を救出する楠正行が描かれた絵ハガキ
   元になった絵は戦前に焼失している。(日本赤十字看護大所蔵)
朱雀天皇は天暦元年、将門、純友の天慶の乱に命を落とした官軍・賊軍の兵士たちを憐ませられ延暦寺で千僧供養を営まれ「官軍も賊軍も共にわが王民である。怨親平等に冥福を祈る」という意味の願い文をお読みになりました。この絵は産経新聞ホームページ 令和元年628日付け オピニオン面より転載

赤十字国際会議で、正行の美談が紹介された史料はないが、政府委員の「戦時傷兵に対する歴史実例」演説で紹介した可能性は
ある。この時の通訳は森鴎外。

  産経新聞紙面から
 敵を救出した正行の行動が欧米人に感動を与え、日本の国際赤十字加盟を容易にした、と伝わるが、それを裏付ける史料はない。
 しかし、「明治20年、第4回赤十字国際会議で、政府委員の石黒忠應が『戦時傷兵に対する歴史実例』を演説しました。その際、正行の話を紹介した可能性があります。ちなみに通訳は森鴎外でした。」
 と日本赤十字大学元職員の吉川龍子さんの談を紹介しています。

40数点のA1パネルを準備しています。
 是非、ご来場ください。

特別展・しじょうなわてと楠正行
展示資料一覧
 NO.  項目 内容 
 1  小楠公一代記  表紙
 2  小楠公一代記  1 桜井の別れ
 3  小楠公一代記  2 持仏堂での訓戒
 4  小楠公一代記  3 弁の内侍を救う
 5  小楠公一代記  4 渡辺橋の美談
 6  小楠公一代記  5 後村上天皇との別れ
 7  小楠公一代記  6 如意輪堂に辞世の歌
 8  小楠公一代記  7 四條畷の合戦
 9  南游紀行  挿入図/正行墳
 10  小楠公真筆集  原典・略解・読み下し文
 11  小楠公真筆集  1340 国宣 観心寺
 12  小楠公真筆集  1341 書状 土橋家
 13  小楠公真筆集  1342 国宣 観心寺
 14  小楠公真筆集  1343 廰宣 金剛寺
 15  小楠公真筆集  1344 書状 観心寺
 16  小楠公真筆集  1344 書状 観心寺
 17  小楠公真筆集  1347 国宣 観心寺
 18  河内名所図会  楠正行墳
 19  ゆかりの史跡  地図
 20  ゆかりの史跡  四條畷神社・小楠公墓所・和田賢秀墓
 21  ゆかりの史跡 櫻井駅跡 
 22  ゆかりの史跡  宝筐院
 23  ゆかりの史跡  如意輪寺
 24  ゆかりの史跡  渡辺橋
 25  ゆかりの史跡  建水分神社
 26  四條畷の合戦  合戦要図
 27  四條畷の合戦  激闘6時間
 28  正行通信  6号 表 歌・桜井決別
 29  正行通信  6行 裏 歌・四条畷
 30  正行通信  100号 表 正行ポスター
 31  正行通信  100号 裏 正行ポスター
 32  CD  歌・楠正行
 33  読売新聞  中世史の十字路 田辺聖子
 34  朱舜水作正行像賛  九思先生揮毫
 35  朱舜水作正行像賛  原典
 36  朱舜水作正行像賛  略解・読み下し
 37  拓本  如意輪寺・辞世の扉
 38  拓本  正四位下検非違使兼河内の守楠公碑
 39    楠公碑 銘・釈文
 40  掛け軸  狩野探幽画 桜井決別図
 41  四條畷合戦  四條畷市小字図
 42    楠正行かるた
 43  産経新聞  6回楠正行シンポジウム

☆特別展示 11/21 11/22 11/28 11/29 の4日間
 正四位下検非違使兼河内の守楠公碑拓本掛け軸
 小楠公委墓所社務所逆菊水家紋入り瓦

☆展示解説 11/22 11/29 の2日間 展示物を展示ホールに移動
 午前10時と、午後2時の2回、計4
 扇谷による展示解説(約1時間を予定)

☆正行グッズ販売 特別展示する4日間 AM10:00PM400 
 正行かるた・正行像賛扇子・論文集「小楠公」
 小説「楠正行」・CD「楠正行」

次回例会
  日時 1110日(火)、午後130分~3時
  場所 教育文化センター 2階 会議室1
    内容 特別展、MYゲーム制作、楠正行シンポジウム等打ち合わ
       令和3年度の取り組みついて他

傍聴、入会大歓迎! 
  郷土、四條畷の歴史、そして四條畷神社に祀られる楠正行に関心をお持ちの方、一緒に学びませんか。
 例会は、毎月・第2火曜日の午後130分から3時までです。
 お気軽に、教育文化センターの会議室1を覗いてください。お待ちしております。


正行通信 第117号はコチラからも(PDF)


正行通信 第118号はコチラからも(PDF)

 

教文 親子体操教室で「おだんごを作りました」

日時 令和2年10月1日(木) 午前10時より11時30分
場所 教育文化センター ホール・会議室1
イベント内容 今日はお月見のお団子づくりをしました。
お手手を消毒してエプロンと三角巾を付け準備万端です。
コメ粉やモチ粉をコネコネして、色々な形を作り広場で頂きました。
とても楽しく出来ました。

   
   
   

教文 親子体操教室で「初めてのお絵描き」

日時 令和2年9月17日(木) 午前10時より11時30分
場所 教育文化センター ホール・会議室1
イベント内容 今日は体操の後でお絵描きをしました。
白い画用紙にクレヨンや絵の具で綺麗に塗りました。
お名前と作品名を書いて「初めての手形」を押しました。◎

   
   

四條畷 楠正行の会 第63回例会

   日 時  令和2年9月8日(火) 午後1時30分~午後3時
   場 所 四條畷市立教育文化センター 2階 会議室1 

●ススキ野原の四條畷を想像しながらの四條畷の合戦、激闘の一日を振り返る

 8月お休みでしたので、2か月ぶりの例会です。
 今回は、改めて、四條畷の合戦16時間の激闘を振り返りました。
 高師直5道・15国の35,450騎に、吉野朝・宮軍10,600騎のうち、中軍を構成する楠正行軍1,000騎は、正平3年(134815日、四條畷の地で、巳の刻(午前10時)から申の刻(午後4時)までの1日の死闘を繰り広げました。

 当時の状況を示す史料は残っていません。
 しかし、江戸期につくられた河内名所図会や、近代の四條畷を映す市民総合センターの緞帳、写真類等の存在を確認しながら、人家がほとんどなく、飯盛山と深野池の間約2キロメートルの狭隘な地を貫く大道=東高野街道周辺を覆っていたであろうススキ野原を想像しながらの四條畷の合戦の振り返りとなりました。
 楠正行の活躍が故に「四條畷神社」が創建され、神社創建を受けて、公共施設に四條畷の冠がかぶせら命名された背景のもとに、昭和7年、甲可村改め四條畷村と改名された事実を抑えながら、四條畷の合戦の主人公、楠正行が市名の生みの親となったことなど、多くのことを再確認しました。

●特別展「しじょうなわてと楠正行」111629日、ご来場お待ちしています。

 四條畷市制施行50周年記念協力事業「特別展・しじょうなわてと楠正行」は、1116日(月)から1129日(日)までの2週間、市民総合センターで開催します。
 この日、展示予定のA1パネル43枚のうち、完成した「小楠公一代記」8枚を持ち込み、会員に披露しました。
 会員からは、「とても張り合わせたパネルとは思えない出来ですね。」と、及第点をもらい、ひとまず安ど。
 パネルも手作り、カラープリントも張り合わせの手作り、しかし、思いだけは外注に負けない制作物と自負しています。
 期間中、市内外からたくさんの方が来場されることをお待ちしています。
 詳しくは、楠正行通信116号・別途チラシ等をご覧ください。
 なお、この日、以前何度かオブザーバー参加された方から、某すし店に伝わる「菊水家紋と楠の文字入りの大風呂敷」2枚の寄贈を受けました。今後、展示会やシンポジウム等の「のれん」等として活用させていただきます。
 ありがとうございました。



                  9月例会の様子
楠正行通信第116号
                


四條畷市制施行50周年記念協力事業特別展「しじょうなわてと楠正行」
・期間 111629 会場 四條畷市市民総合センター
・小楠公一代記・小楠公真筆集・楠正行像賛揮毫・楠公碑拓本・辞世の扉
 拓本他一挙公開


改めて確認! 正行最期の戦い「四條畷の合戦、激闘の1日」
  四條畷の合戦、正平315日、激闘の1
  1期衝突から第5期衝突、そして正行の最期
  1日、どのような経路をたどり、どこで、誰を相手にどのような戦いが繰り
  広げられたか
  正行隊1000騎の逆寄せ・消耗戦
  高師直35450騎の中身
  四條畷の合戦をしのぶことのできる資料は残っているのか
  この頃の四條畷の地勢・形状は
 (当日資料・一部抜粋)

            楠正行、四條畷合戦
       正平3年1月5日 巳の刻(午前10時)~
       申の刻(夕方4時)の激闘6時間 
                                       2020.09.01 扇谷作成
第1期    早朝、楠軍1000騎、本陣往生院から四條畷に向け進撃開始 
野崎 辺り 飯盛山に布陣していた懸下野の守、白旗隊3200騎、馳せ下って、
両軍最初の激戦。懸下野の守、身に傷を受け、敗走 
 第2期   十念寺西辺り 十念寺西方の武田伊豆の守信武1000騎と大激戦の末、武田軍700騎を
全滅させる 
 北条神社附近   小旗一揆衆、長崎彦九郎ら48騎、北条神社小松原より駆け下り、正行軍の前面を遮断
第3期         飯盛山の佐々木道誉3000騎、かけ下り 正行軍分断。
大塚正率いる正行軍の後陣敗れて、残るは前陣の300余騎となる
南野附近        細川相模守清氏550騎、仁木左京大夫頼章1800騎、千葉介貞2700騎・宇都宮遠江入道貞泰650騎と三度交戦し、退却させる
 細川讃岐守頼春1900騎、今川五郎入道範国2100騎、佐々木六角判官
氏頼3100騎は正行との全面衝突を避ける
 正行軍、千葉らとの交戦で100騎が討たれる
 正行軍、田の畔を見つけて、背中を押しあて、兵糧食を摂り、英気を養い態勢を整える
 備中守護、南遠江守宗継2200騎、重臣、南次郎左衛門尉、正行軍の槍隊の前に崩れる
備前守護、松田備前守盛網2300騎、重臣、松田次郎左衛門、和田賢秀の薙刀に倒れる 
萩野尾張守朝忠700騎、土岐周雀と明智三郎900騎、散り尻になって退散 
四條畷保健所東一帯    正行の乗馬「初霜」、足と胴に矢を受け、下馬を決心
第4期    正行軍、高師直本陣5300騎に肉薄し、その距離半町(約55メートル)に迫る
高師直の身代わり、上山六郎左衛門高元、「高武蔵の守師直是にあり」と名乗る 
 賢秀、良円、刑部、行忠、正家ら偽師直を取り囲み落馬させ、正行喉を刺し、「敵将高師直討取ったり」と絶叫するも、偽首と分かり、ぬか喜びする間に後退を余儀なくされる
第5期    小楠公 墓所東    高刑部太夫輔師兼、四周に弓矢隊を配置し、正行めがけて一斉に弓を弾く
 弓矢隊の中心九州の住人、須々木四郎に強弓を射たてられ、残兵ことごとく重傷を負う
 正行、須々木四郎の放った矢で左右の膝頭を三か所、右の頬、左の眼尻を射られる
 正時、同じく須々木四郎の放った矢に眉間と喉の脇を射られる
最期の地   JR四条畷駅南信号機辺り  「敵手にかかるな!」と正行、正時刺し違えて、討死。
自余の兵32人も腹掻き切って自決する
エピローグ   師直本陣   賢秀、薙刀をつえ代わりに、師直陣に入り込むが、湯浅本宮太郎左衛門に見破られる。賢秀は湯浅をにらみつけたまま落命 
 大塚掃部助惟正は落ち延びたが、正行の討死を聞き、取って返し、切りあって討死
 和田新兵衛正朝は、逃げ帰るが安保肥前の守忠実に追いつかれ、首を討ち取られる

●特別資料・西村朋子リポート
「二上山の石切場で何が作られたか ―太子町楠木石切り場跡―」
【講演】 二上山の石切場で何が作られたか―太子町楠木石切り場跡-
講師:公益財団法人大阪府文化財センター 井上智博/当日配布資料から抜粋


〇二上山周辺の石材利用の歴史
 ・サヌカイト 旧石器時代から弥生時代にかけて打製石器の素材として使用された
  ~西日本のかなり遠くからも二上山のサヌカイトが出る。
  (扇谷補注)
  四條畷市からも二上山のサヌカイト製石器が出ている。
 ☆讃良川川床遺跡出土サヌカイト製ナイフ形石器~2万年前の旧石器時代
  長さ6センチほどのナイフ形石器
  今から2万年ほど前から使用されていたと考えられている。
 ☆岡山南遺跡出土サヌカイト製木葉形石槍~14000年ほど前の旧石器時代
 ☆南山下遺跡出土サヌカイト製有舌尖頭器
  長さ11センチ、先は鋭く両面は丁寧に加工された立派な槍先
  ~旧石器から縄文時代早期のものと思われる
 ・凝灰岩
 ・金剛砂 →奈良時代?~近現代 研磨剤として利用。川砂をふるいにかけて採取

〇楠木石切り場跡の調査結果
・採石坑だけでなく、直下の谷も含めて調査
 →石切り場の空間構造が明らかにされた
・操業時期
 →大きく、
 古墳時代後期~平安時代前半(6世紀~9世紀前半)
 平安時代後半~鎌倉時代(12世紀後半~14世紀前半)
 13世紀中ごろに、採石の中断期がある ・・・ 焼き畑?によるソバの栽培がおこなわ
れた

 →つくられたものは
 古墳時代後期~平安時代前半(6世紀~9世紀前半):組み合わせ式石棺、基壇化粧石?
 平安時代後半~鎌倉時代(12世紀後半~14世紀前半):五輪塔を主体とする石塔
 (扇谷補注)
 寄手塚・身方塚の石材は、楠木石切り場から掘り出されたものではなさそう
 寄手塚 182センチの大型石造五輪塔
      → 石英閃緑岩 14世紀初めの作か
 身方塚 137.3センチの石造五輪塔
      → 黒雲母花崗岩 室町時代初期のものと考えられている
〇楠木石切り場と楠氏の関係
 ・講師説
  楠木石切り場跡の土地は、奈良大和の永福寺の所有地であり、楠氏とは直接関係ないものと思われる
 ・しかし、この土地が明治や大正期に、楠氏にちなんでつけられた楠木地名ではなく、古くからあった小字名によるものと思われる。
 ・また、周辺も含めて、この石切り場の使用時期が楠氏の活動時期とも重なっているのは事実。

□楠木石切り場跡周辺地図(脚注は西村朋子氏)



〇コラム
西村さんの疑問:橋本正督は正行の遺児との説があるが?!

扇谷の見解~
・藤田精一は、和泉義軍の随一者たる土丸城の橋本宮内少輔正督と記している
・小川信は、橋本正督のことを、紀伊を本拠とした和泉の土丸城に立てこもっていた南軍の将、と書いている。
・太平記に橋本正督という人物は登場しない。
・系図上も不祥。
以上のことから、正行の遺児ではなく、紀伊守護職の任にあった武将と考えるのが至当ではないか。

●特別展「しじょうなわてと楠正行」
 日時 1116日(月)~29日(日) 2週間
 場所 四條畷市市民総合センター1階 ロビー・コミュニティスペース、展示
    ホール
 内容 展示・特別展示・展示解説・正行グッズ販売
 【展示予定資料一覧】
 
 特別展・しじょうなわてと楠正行
展示資料一覧
 NO.  項目 内容 
 1  小楠公一代記  表紙
 2  小楠公一代記  1 桜井の別れ
 3  小楠公一代記  2 持仏堂での訓戒
 4  小楠公一代記  3 弁の内侍を救う
 5  小楠公一代記  4 渡辺橋の美談
 6  小楠公一代記  5 後村上天皇との別れ
 7  小楠公一代記  6 如意輪堂に辞世の歌
 8  小楠公一代記  7 四條畷の合戦
 9  南游紀行  挿入図/正行墳
 10  小楠公真筆集  原典・略解・読み下し文
 11  小楠公真筆集  1340 国宣 観心寺
 12  小楠公真筆集  1341 書状 土橋家
 13  小楠公真筆集  1342 国宣 観心寺
 14  小楠公真筆集  1343 廰宣 金剛寺
 15  小楠公真筆集  1344 書状 観心寺
 16  小楠公真筆集  1344 書状 観心寺
 17  小楠公真筆集  1347 国宣 観心寺
 18  河内名所図会  楠正行墳
 19  ゆかりの史跡  地図
 20  ゆかりの史跡  四條畷神社・小楠公墓所・和田賢秀墓
 21  ゆかりの史跡 櫻井駅跡 
 22  ゆかりの史跡  宝筐院
 23  ゆかりの史跡  如意輪寺
 24  ゆかりの史跡  渡辺橋
 25  ゆかりの史跡  建水分神社
 26  四條畷の合戦  合戦要図
 27  四條畷の合戦  激闘6時間
 28  正行通信  6号 表 歌・桜井決別
 29  正行通信  6行 裏 歌・四条畷
 30  正行通信  100号 表 正行ポスター
 31  正行通信  100号 裏 正行ポスター
 32  CD  歌・楠正行
 33  読売新聞  中世史の十字路 田辺聖子
 34  朱舜水作正行像賛  九思先生揮毫
 35  朱舜水作正行像賛  原典
 36  朱舜水作正行像賛  略解・読み下し
 37  拓本  如意輪寺・辞世の扉
 38  拓本  正四位下検非違使兼河内の守楠公碑
 39    楠公碑 銘・釈文
 40  掛け軸  狩野探幽画 桜井決別図
 41  四條畷合戦  四條畷市小字図
 42    楠正行かるた
 43  産経新聞  6回楠正行シンポジウム

☆特別展示 11/21 11/22 11/28 11/29 の4日間

 正四位下検非違使兼河内の守楠公碑拓本掛け軸
 小楠公委墓所社務所逆菊水家紋入り瓦

☆展示解説 11/22 11/29 の2日間 展示物を展示ホールに移動


 午前10時と、午後2時の2回、計4
 扇谷による展示解説(約1時間を予定)

☆正行グッズ販売 特別展示する4日間 AM10:00PM4:00


 正行かるた・正行像賛扇子・論文集「小楠公」
 小説「楠正行」・CD「楠正行」


□大阪電気通信大学令和2年度社会プロジェクト実習授業について

 ・930日(水)午後450分~620分/電通大学キャンパスで開催
       MYゲーム・中間プレゼンテーション
 107日 デモ・プレイ/電通大学キャンパスで開催
 ・1128日(土) 市民ゲーム大会

□第8回楠正行シンポジウムについて


 コロナ禍対策を受けたイベント自粛を受けて、いったん、秋に延期としたが
 さらに、来年3月に延期・決定!
 ●開催日時 
2021313日(土)、1400
  ●開催場所 四條畷市市民総合センター1階展示ホール
  出席予定 コロナ禍対策の状況を判断して定員を決定する
 ●内容   ① 絵本作家谷口智則さんによるライブペインティング楠正行

       ② 楠正行論文、入賞者表彰式

□ブックレット「小楠公」創刊号発売中!
※第2刷 50部追い刷りしました。
 お買い求めは、四條畷市立教育文化センターまでお申し込みください。

□如意輪寺、宝塚歌劇団公演に
協力
 歌劇「桜嵐記」公演、来年に延期!
 514日~621
 
 宝塚歌劇団から如意輪寺に、「弁の内侍の尼僧名は…」との質問有り。
 扇谷に問い合わせ入る。
 西連寺に位牌が残っておらず、史料的には不詳。
 但し、弁の内侍が入った庵名は「聖尼庵」と分かっている/正行通信42号に掲載

□公益財団法人門真納税協会・創立50周年記念誌「温故革新」発刊
 ・特集1 色紙・寄稿文
   扇谷昭 「留取丹心 照汗青」
    ~ 朱舜水作楠正行像賛148文字より

□妙見宗河楠教会、小西正純氏より情報提供・軍歌集CD寄贈

 ・情報提供/海上自衛新聞に寄稿
2つの楠公父子」
   ☆よく知られる「桜井決別」
    ♪青葉茂れる櫻井の・・・
     ~ この唱歌は、修身の徳目である忠孝を説いている。
   ☆軍歌「楠公父子」
   ♪海の民なら男なら みんな一度は憧れた・・・
     ~ この海軍軍歌は、七生報国を主題として国防の精神を謳っている

次回例会
 
 日時 1013日(火)、午後130分~3時
 場所 教育文化センター 2階 会議室1
 内容 特別展、MYゲーム制作、楠正行シンポジウム等打ち合わせ

傍聴、入会大歓迎!
 郷土、四條畷の歴史、そして四條畷神社に祀られる楠正行に関心をお持ちの方、一緒に学びませんか.
 例会は、毎月・第2火曜日の午後130分から3時までです.
 お気軽に、教育文化センターの2階会議室1を覗いてください。お待ちしております。



正行通信 第116号はコチラからも(PDF)

教文 親子体操教室で「水あそび!」

日時 令和2年8月20日(木) 午前10時より11時30分
場所 教育文化センター ホール・会議室1・芝生広場
イベント内容 今年最後のプールです。
もっと入っていたいナー



四條畷 楠正行の会 8月の例会は お休み
残暑お見舞い申し上げます
 7月には大雨が続き、長い梅雨が明けたと思ったら、今度は酷暑の日々が続いて
います。加えて今年は、コロナ禍という人類未曾有の大敵が襲い、3密を避け、
ソーシャルディスタンスをとって、不要不急の外出を避けるという、人間の営み
にとって最も大切な「人と人の絆」を断ち切るウイルスと戦わなければなりません。
 ワクチンができるまでは根本的な対策はありません。
 睡眠をとり、体力をつけ、手洗い・消毒を励行の上、マスク着用で、とにかく
自省の日々を送りましょう。
 今月は休会ですが、楠正行通信は発行しましたのでどうぞご覧下さい。

四條畷市制施行50周年記念協力事業・特別展「しじょうなわてと楠正行」の開催が決定
しました


 1116日(月)から29日(日)までの2週間、四條畷市民総合センターのロビー・コミュニ
ティスペース・展示ホールを会場に、展示・特別展示・展示解説・正行グッズ販売を計画して
います

 主な展示予定は以下のとおりです。
 ・小楠公一代記
 ・正行直筆の国宣、書状
 ・四條畷合戦要図
 ・四條畷市小字図
 ・正行辞世の扉(拓本)
 ・小楠公墓所正四位下楠公碑(拓本)
 ・朱舜水正行像賛・略解
 ・建水分神社扁額正行直筆裏書
 ・楠正行かるたパネル 他
 多くの皆様のご来場をお待ちしています。


*楠正行通信第114号

安芸の小京都 広島県竹原市の魚問屋
・頼家と交流のあった「鍵屋」の遺した家訓
・江戸時代、商人たちの経営理念が見える

*楠正行通信第115号

・大阪電気通信大学とのコラボ第4
・四條畷の歴史・文化を遊びながら学ぶ「MYゲーム」制作
・7/29 オンライン会議で、電通大・学生自宅・市役所を結び、8グループ、ゲームのテー
 マ発表

 ●
次回例会


 日時 98日(火)、午後130分~3時
  場所 教育文化センター 2階 会議室1
 内容 正行最期の戦い~四條畷の合戦、激闘の6時間
特別展、MYゲーム制作、楠正行シンポジウム等打ち合わせ
傍聴、入会大歓迎!
郷土、四條畷の歴史、そして四條畷神社に祀られる楠正行に関心をお持ちの方、一緒に
学びませんか

 例会は、毎月・第2火曜日の午後130分から3時までです。
 お気軽に、教育文化センターの2階 会議室1を覗いてください。お待ちしております。


正行通信 第114号はコチラからも(PDF)

正行通信 第115号はコチラからも(PDF)




教文 親子体操教室で「水あそび」

日時 令和2年8月6日(木) 午前10時より11時30分
場所 教育文化センター ホール・会議室1・芝生広場
イベント内容 体操の後でプール遊びをしました。
気温が高く、水が温かくなっています。






教文
親子体操教室で「プール開き!」

日時 令和2年7月16日(木) 午前10時より11時30分
場所 教育文化センター ホール・会議室1・芝生広場
イベント内容 今日はお待ちかねの水遊びです。
冷たくて気持ちイイねバッシャ~ン


四條畷 楠正行の会 第62回例会

   日 時  令和2年7月14日(火) 午後1時30分~午後3時
   場 所 四條畷市立教育文化センター 2階 会議室1