四條畷市立教育文化センター
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〒575-0021 大阪府四條畷市南野5丁目2-16
 (全5回)
  (全5回) 扇谷は、四條畷市の観光ボランティアガイド「なわてロードガイドゆずりは」の事務局長を、発足当初から、在籍約8年間にわたって務め、四條畷神社、小楠公墓所、和田賢秀墓等の楠正行ゆかりの地のガイドを通じ、郷土ゆかりの歴史上の人物正行研究に力を注ぐようになる。
               そして、平成23年、長期入院を余儀なくされ、太平記など正行に関する文献を読みあさる事となり、湊川に残る嗚呼忠臣楠子之墓の碑陰に朱舜水作の正成賛文が刻まれていることを知る。
               入院生活中に執筆を開始した「郷土、四條畷の発信力」でも、四條畷の合戦で討ち死にした楠正行の心情に迫る件を盛り込み、同年10月、自費出版した。
               結果、朱舜水作の正行賛文の発見につながった。
              
              〈講義の概要〉
              ◆朱舜水作「嗚呼忠臣楠子之墓」碑陰正成賛文を読み解く
              ●今回は、パワーポイントによるプロジェクター映写を使用せず
               今回の講義は、扇谷が作成した資料を基に、説明を加えながら、全員で学ぶスタイルとなった。
               資料の構成は、賛文の読み方として、湊川神社発行の「大楠公御碑銘賛」を準備、また昭和7年刊・辻村勝著「大楠公の碑文」に記されている読み方も口頭で紹介。略解については、同じく湊川神社発行「大楠公
 御碑銘賛」(甲南女子大学名誉教授・垣田時也氏)と茨城県立歴史館元主席研究員・木下英明氏論文「朱舜水の楠正成像三首について」及び扇谷が調べた漢字の意味や安東省菴「三忠傳」との対比等を準備。
              
              ●朱舜水賛文と安東省菴三忠傳に異動ある事を発見 
               
               朱舜水の賛文中、以下の一文があります。
                  朱舜水の賛文中、以下の一文があります。
              
              諺云、前門拒レ狼、後門進レ虎。
              
              (資料:扇谷の注記)
               前門の虎、後門の狼
               ここでは、「前門の狼、後門の虎」と表記されているが、諺としては、「前門の虎、後門の狼」が通例。
               前門の虎後門の狼とは、一つの災難を逃れても、またもう一つの災難が襲ってくることのたとえ。
               趙弼『評史』 にある「前門に虎を拒ぎ後門に狼を進む(表門で虎の侵入を防いでいるときに、裏門からは狼が侵入してくるの意味)」から。
               前後から虎と狼に挟み撃ちされては、勇者であってもたち打ちできないということ。
              
              
               安東省菴は、三忠傳で次のように記している。
               「一賊亡びて一賊在り。
                是れ前門に虎を拒いで後門に狼を進むるなり。」
               三忠傳巻下 楠正成伝 世子正行公の伝 仮名混じり読み下し文:柳川郷土資料解説より
               朱舜水は、前門に狼と記し、安東省菴は、前門に虎と記している。
               朱舜水の思い違いか、それとも、あえて諺の通例を使わなかったことに意味があるのか、悩ましいところ。
              
              ●朱舜水の賛文中に、三忠傳からの引用を散見
               安東省菴は、朱舜水に三忠傳を示した。
               朱舜水は、正成賛文を記すにあたって安東省菴の三忠傳を大いに参考にしたと思われ、引用箇所は複数個所で発見した。
               その一つが以下の一文。
              
自レ古未レ有下元師妒レ前、庸臣専斷、而大将能立二功於外一者上。
  これは、大楠公御碑銘賛による略解では次のように記されている。
               昔から一番
               (コレハ、足利尊氏が九州カラ攻メ上ツタ時、後醍醐天皇二比叡山二行幸ヲ願ヒ、敵ヲ京都二誘ヒ込ミ周りカラ攻メテ壊滅サセルトイフ楠公ノ計略が、藤原清忠ニヨリ阻止サレ、為メニ正成ハ湊川二出陣シテ尊氏卜戦ツテ討死スルトイフ史実ヲサシテヰル。)
              
               この件については、藤田精一著「楠氏研究」の中で、安東省菴の三忠傳の中にもほぼ同じ内容の一文が使われているが、これは、「宋史」の岳飛の記中に同様の一文があり、“引用セルは明らか也”とある。
               岳飛(1103~1142)は、南宋の武将。
               南宋を攻めてきた金に幾度となく勝利を収めるが、岳飛の勢力の拡大を恐れた宰相に謀殺された。後に冤罪が晴れ、1204年には岳王に追封され、後代、救国の英雄として称えられた中国の人物。
               これらの件から、当時の日本の儒学者たちに、中国の影響がかなり大きかったことが読み取れるのではないか。
              
              
 
        





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